氏名

林 愛子

記入日

2010年4月13日(火)

 

遅くなりましたが、ご復活おめでとうございます!!! カンボジアで2度目の復活祭を迎えました…。

 

3月は、4月7日にタオムで、バンコクから教皇使節を迎えての洗礼式、130周年記念(前回100周年と書きましたが、フランスにある文書と確認したところ130周年と判明)、図書館・大阪教区支援で設置した井戸・マリア像の祝別という大きな式典の準備に追われ、月曜の朝にシェムリアップを出て、木曜の夕方にシェムリアップに帰る、週の半分をタオムで過ごすという生活でした。そんな生活の中、タオムにスペイン人の医師が診察に来てくれ、3月20日にはプノンペンでのオリビエ神父様の司教叙階式にも参加することができました。

 

司教叙階式

19日、シェムリアップ教会のみんな、タオムや水上村のプレクトアールからも参加して、教会の車2台に28人が乗っていざ、プノンペンへ。この日はプノンペンにあるドン・ボスコに宿泊。ドン・ボスコはプノンペンに大きな学校が2校あり、式典をしない小さい方で私たちシェムリアップやバッタンバンなど遠くから来た人たちが宿泊しました。到着して敷地内を歩くと幼稚園から高校まであるとっても大きな施設、本当にこれが小さい方なのか?と思うくらいで、たくさんの学生がいました。なので、寮生のための水浴場はとっても広い!でも、朝の身支度時は人の中をかき分け、出発の準備をしました。

叙階式当日、もう1つのドン・ボスコの会場に行くとたくさんの人、人、人…。たくさんの司教様・神父様、シスター、スタッフに学生、それに加え仏教の高僧やイスラム教の人たちも参加していて、後で聞くと6000人の参加者だったとか?!

連願・按手と式が進み、エミール司教様から大きなリングを指にはめられ、司教の椅子に座った後、みんなからハグを受ける笑顔のオリビエ司教様。そんな様子を見て私が印象に残ったのはお坊さんとハグをしているオリビエ神父様。国教である仏教とカトリック、お互いが尊敬し合って、こんな風にハグし合えるなんてすごいな〜と、私まで笑顔に…。仏教や国の文化を大事にして宣教してきたからこそできる業?言葉にしてしまうと簡単だけど、実際にこれを実行することは難しい。みんなに配られたオリビエ神父様のイコンには

 

キリストの愛が駆り立てている…。(コリント2、5章14節)

 

という1節が。キリストの愛に駆り立てられれば、難しいことにも立ち向かえるのか、と納得。

オリビエ神父様は学生を連れて伝統舞踊の海外公演に行ったり、海外からのゲストもたくさん受け入れたり、農業学校を建て、カンボジア語の名前もあるくらい、カンボジアのことを愛しています。そして、フランス人のオリビエ神父様はクメール語が上手。さらに日本にいたこともあって日本語も上手で日本のこともとても好き。最後のスピーチではカンボジアで活動しているショファイユの幼きイエズス修道会のシスター方に日本語で感謝の気持ちを伝えていました。

 

そして次の日、3月21日タンコークという場所で初ミサがありました。なぜこの場所か?と言うとポル・ポト時代にサラス神父という殉教者が亡くなった大切な場所だからです。前日の分かち合いで担当のまさやさんが準備してくれたのはカンボジアの殉教者についてだったので、予習をして行くことができました、本当に偶然!まさやさん、ありがとう!!!

サラス神父様はフランスに留学していて、1975年2月プノンペン司教から帰ってくるようにと書かれた手紙を受け取り、カンボジアに“死にに行く”という決心ですぐ帰国し、殉教しました。1975年4月14日、ポル・ポト軍がプノンペンを占拠する3日前に35歳の若さで司教叙階し、1977年に餓死しました。

私はここタンコークでカンボジア人のヴィネイ神父様に初めて会いました。現在4名のカンボジア人司祭がいますが、ポル・ポト時代には全てのカンボジア人司祭が殺されました。一度全て失われても、神様の導きがあったからこそ、200112月カンボジア人司祭が再び誕生したのだと思います。

 

タオムでの式典

はじめて私がタオムに来たとき、街から遠く離れたこんな場所にこんな大きな教会があるなんて!とびっくりせずにはいられませんでした。ポル・ポト時代ほとんどの教会が破壊されました。しかし、タオムとコンポンソムの2教会だけはぼろぼろではあるものの建物として残ったそうです。

今年に入って、神父様からこの式典の話しを聞き、準備よろしく!と言われて、タオムで教皇使節や海外からのゲスト、バッタンバン教区の信徒、村の人たちなど全て合わせて600人くらい?のゲストを迎えるなんて!想像もつかないし、何をしていいのかも分かりませんでした。でも、トンはしないといけないことが何なのか、ちゃんと分かっていて、一緒にやることを書き出し、毎週タオムに行く度に着々と準備を進めていきました。やっぱりトンってすごいな!と改めて感心。私たちがシェムリアップに行っている間もポンロークがタオムで指揮をとって準備を進めてくれ、幼稚園の先生のスレイ・ナイとコーラップ、図書館司書のサヴィーが飾り付けの準備などいろいろと手伝ってくれました。もちろん子どもたちも、飾りつけを作るのを手伝ってくれ、青年たちや洗礼志願者たち、他にも村の人たちが一緒に働いてくれ、教会の内装にラーニングセンターの改修や塗装、台所の移動、トイレの設置、新しい木の植え込み作業などなど本当に毎週やることがたくさん!の準備をこなしていきました。この忙しい中もトンは洗礼志願者への勉強会を忘れません。

タオムに来るたびに買い忘れたものがあると、「また来週また来週!」と言っていましたが、あっという間に4月に入りました。前日には総指揮をしてくれるフィリピン人のトテット神父様やキレイな花を飾ってくれるベトナム人のシスター、バッタンバンのスタッフが手伝ってくれ、いよいよ当日。朝から最終準備、でも「布がない〜」「テープがない〜」て、やっぱりバタバタ!!!ゲストが来はじめ、私も着替え、聖堂での予行練習へ。とっても嬉しいことにJLMMカンボジアメンバー全員に加え、東ティモールから邦子さんもタオムに来てくれました!教皇使節、司教様も来てミサの始まりです。

洗礼志願者が一人ずつ名前を呼ばれます。私はタオムで初めてのミサが洗礼式ということに感動、しかも洗礼式はタオムで40年ぶり!!!洗礼受洗者の誕生です♪私は代母をさせてもらうという大役も務めさせていただきました。でも、嬉しいことばかりではありません。洗礼志願者は30人でしたが、実際に洗礼を受けたのは29人。実は一人、「洗礼を受けるなら殺す!」という、息子の強い反対で洗礼を受けることのできない人がいました。仏教が強いカンボジアでカトリックになるということがどんなに大変か、改めて感じました。彼女は家が遠く、それでも教会に来てみんなと一緒に準備をしてきました。会うことはできませんでしたが、この日をみんなと向かえることができないことに悲しんで泣いていた、というのです。当日の朝、彼女の孫に会ったので「おばあちゃん、元気?」て、聞くと「元気」との返事、それ以上のことは聞けませんでした。何もできない無力さを感じながらも、今の私にできることはただただ彼女のために祈ること。

 

まだタオムで活動始めて数ヶ月、何をしていいのかも分からず、自分の存在意義を神様に問いながらも、準備からタオムのみんなと関わりながら、この日を迎えることができたことはやっぱり神様のお恵みだ!と感じずにはいられません。カンボジアに来てから神様に「何で?」「どうして?」て、問うことがたびたびあって、でもその度にちゃんといろんな形で答えを用意してくれているんだと気付かされます。数ヶ月かけて準備してきましたが、式典当日は、「この数ヶ月とっても大変だったけど、タオムの人たちと一緒に準備してきてよかった!トンにポンローク、タオムのみんながいなかったらできなかった!」と、みんなへの感謝の気持ちと充実感で満たされました。

 

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